●86' 11/2 - 11/6
サイパン  (コンチネンタル航空)  1ドル=164円

 忘れもしません。なにせ新婚旅行ですから。忘れたらなぐられちゃいますよ。

それに
ハイアットリージェンシーですよ、なんつったて。ああ、青い海とさんご礁…
そんなイメージの海にはなんとそこらじゅうなまこ・なまこ・なまこの大群。
ハイライトのディナーではグラスワイン頼んだつもりが、ボトルででてきちゃったりしましたが、まあそんな語学力でしかなかったわけです。
でもなにが楽しかったかっちゅうと地元のスーパーいったり、自由にぷらぷらできた時間が一番ですね。

だからそれ以来、パック旅行はほとんど行ってません。
あ、名物のこうもり、じゃなくてヤシガニもたべました。一応。高かったです。当時で5000円くらいしたかな。
それにしても、若いわ。まだ20代だもん


●87' 8/24 - 29  1ドル=141円
フィリピン マニラ → セブ島 (フィリピン航空)

セブ島の南方、クラブパシフィックなんたらに宿泊。写真買わされたり、しっかり手数料とるお土産買わされたり、いろいろありました。
あまい笑顔にだまされちゃいけません。なんでも1000円っていえば安いとおもっちゃいけませんね。

しかし、なんちゅうても
「ホナサン大佐のクーデター」にはまいりました。帰れなくなるかと思った。
もともとラジオしかはいんないホテルだったので、情報は地元のラジオの放送だけ。おまけにほとんどタガログ語でようわからんし。
「もうしばらくホテルに滞在することになるだろう」なんていわれちゃうし。。。

なんとか収集ついたちゅうんで、急いで空港むかったけど、そこらじゅうにマシンガンもった兵隊ににらまれてるし、
最後の税関で緊張しちゃったから「手持ちの現金は?(英語)」って聞かれて
「え? 
ワンミリオン」とかいっちゃったもんだから、また疑われちゃうし。
このやろー!行きのときは「マニマニ」なあんてしっかり賄賂要求したくせにっ! おかげさまで全然使えないペソがたんまり残りました。


●88' 8/9 - 13  1ドル=130円
中国 北京(全日空)


まだ改革開放がはじまったばかりの中国でした。そこらじゅうこれからの変化の胎動が聞こえてくる、
そんな雰囲気がみちみちていました。
でもまだまだ素朴で、西洋かぶれしていない素の中国であったことは間違いないです。
昔ながらの四合院住宅が町のあちこちに残っていました。
そしてデパートいっても免税店いっても、お客様は下僕だったころのことです。
どこへいっても返ってくる答えといえば「
没有(ありません)」。。。「おとといきやがれ!」ってな言い方です。
だってー、そこにおいてあるじゃん、それ頂戴よー!「給我那個」
没有(-.-)
「(@_@)」

おのぼりさん的中国人にはいつも「ソレ ドコデカッタカ!?」とか、「ドーブツエンハ ドコカ!?」ときかれるし!

おみやげがわりに買ったインスタントラーメンは1個5円くらいだったけど、まだまだ庶民には高い食品でした。
でも、まーずかったー! ラーメンといえば、本場の中国なのに!そんなまずいものでも、北京駅で所在なげに座り込んでいる家族の大事な昼食でした。
バリバリそのまんま。 
えー!そんなふうに食べるの??ベビーラーメンかよー?

しかし最後の晩に食べた酢辛湯と濃縮マンゴージュースの食べ合わせで、見事に下痢ピーした二人でした。
それ以来ひどい腹痛と下痢にあったことは久しくありません。


●89' 8/7 - 10  1ドル=130円
タヒチ パペーテ、モーレア島  (エールフランス)

この旅を最後に我々の旅行予算も縮小を余儀なくされていきます。やはりバブル崩壊の影響でしょうか。。。
それはともかく、まだまだメジャーではなかったタヒチ、エールフランス就航記念ということでまだまだ日本人にはなじみのないタヒチ、
さぞや日本人も少ないだろうな、と思っていましたが実は1グループ一緒だったんです。
なんと、
やくざやさん一家です。一家というのは正しくありませんね、親分さんとその愛人、そして小間使いの子分さんです。
いつもその子分さんはぼやいていました。
「せっかくの夏だっちゅうのに、家族と
三浦の海がいちばんだよ。」
僕達のいくところはなぜかやくざやさんあり、てなわけでいつのまにか子分さんの相談役になっていました。
トホホ

モーレアの田舎道で雨宿りをしているとき、日本語で声をかけてくる人がいました。
最初はなんかの客引きかと思ってみたら、ほんまもんの日本人です。
その方は石川さんといって、夫婦でヨットを操り
太平洋一周の旅をしている途中だというのです。
翌日約束をしてキャビンに入らせてもらいましたが、そんな冒険のようなことをしているとはとても思えない、
なんかレジャーの延長のような気軽さでした。
すてきなご夫婦に感動しました。


●90'   
沖縄 石垣島、コザ、那覇 (全日空?)

ここではおじいちゃんが迎えてくれました。
といっても沖縄戦でなくなったおじいちゃんです。へびGの生まれる15年ほど前、敗戦間際に召集され、沖縄で死んでいったおじいちゃんです。
石垣島ではウタキに祈り、本島では慰霊碑をめぐりしたそのころ、北海道いる母のところに電話があったそうです。

「オレだ。。」
「あ、元気かい?今沖縄でしょ?」
「ああ、でもちょっと怪我したけど、
ハブ食ったら治ったさ。」
「ええ?」
「ああ。。したっけね。。」
  といって電話を切ったかどうかまでは定かではないですが、そういう電話だったそうです。
ずいぶんと遠くから聞こえてきた、と母はいっていました。
きっと孫がはじめて沖縄までやってきたので、迎えてくれたんじゃないか、ってみんなそう思っています。

60年経とうというのに、未だに遺品のひとつも帰ってはいませんが、ちゃんとここにいるってことを知らせてくれたのかも。。


●92' 7/20 - 26  1ドル=130円
中国 北京 →上海 (中国民航、中華東方航空)


2度目の中国は北京から上海まで列車を使った旅でした。
北京から上海へ向う列車のコンパートメントで一緒になったおじさん2人組は、台湾の人たちでした。
改革開放のおかげでしょうね。自分達の故郷を旅している途中だったようです。
お菓子をくれたり、要領のわからないぼくらに、いろいろ教えてくれたり、とても親切にしてもらいました。
上海でわかれたっきりですが、今も元気にしてるかなあ。

天安門後の中国はさらに激変し、近代的な建物はもちろん、いろんな西洋のサービスがはいりこんでいたのです。
でも上海は相当にスクラップ&ビルドの途中で、どこへいっても工事中というありさま。
昼夜問わず工事、工事、仲本工事です。
外難の周辺の昔の面影などほとんどなくなろうとしているさなかの旅でした。このあと
醜悪なテレビ塔の建設がはじまるのです。
コロニアルな建築物は西洋の圧制の象徴かもしれませんが、上海の街を彩る美的象徴でもあるし、
その空間を埋める古い住宅街もまた上海らしさでもあるんですが。。。
ま、東京の後を追っているようですね、上海は。


とにかくここ中国では
自己主張しないとやっていけません。整然と並ぶなどという感覚はないところですし、
向こうからくるのではなく、こちらから向っていかないとなにも解決しないのです。
トロ姉の中国語でいろいろ問題解決をはかれたのはとっても助かりました。

それにしても北京の雨はくろかったー。


●93' 7/
沖縄 コザ →石垣島→西表島 (全日空・南西航空)


台風が近づいてきて危ぶまれた石垣行きもなんとかクリア。ひいきの宿
「ペンションさっぽろ」に今回もお世話になりました。
ここの
看板犬「クロ」に会えたのも沖縄を好きになった一因かもしれないです。
(浜辺でクロとスナップ)
いつもはにかみながら僕らを迎えてくれて、一緒に散歩するときはちゃんと道案内してくれるんです。
胴長短足のクロはどこか大東犬にも似た雰囲気をもっている愛らしいワンコ。
でも僕らが帰る日はちゃんとわかっていて、とっても寂しそうにするんですよ。
このワンコとの出会いはピースを飼うことになる、なにか遠因になっているように思います。

このとき近くに住む宮古出身の人たちと知り合い、共同売店でいろいろ話したりしました。
そのうちに「今度収穫の祝いをやるから飲みにこいよ」と誘われたんですが、宿のご主人に
「あそこは乱暴だからやめときなさい。帰れなくなっちゃうよ。」といわれ、結局断念。
なにしろ石垣滞在の最終日でもあったので、
「オトーリ」に誘われたまんま、意識をなくしてしまってはちょっとまずそうだったので。

今回の旅のハイライトはなんといっても新良幸人&サンディーのライブハウス「酔ing」の閉店フェアウェルライブを観るためでした。
しっかし閉店ライブちゅうこともあり、ライブハウスは定員3倍オーバーくらいの人、人、人。
急遽お店が持ち込んだエアボンベの効果もほとんどありませんでした。よく酸欠ならんかったなあ。
でもライブは絶好調。新良幸人の歌は今まで聞いたなかでもピカイチすんばらしかった。!

この旅で2本目の三線を照屋三線店で購入。そう「りんけんバンド」の林賢さんのお父さん、林助さんのお店です。
この旅では林助師匠の独演会を店の2階にある「てるりん館」で楽しませてもらいました


●94' 2/ 9 - 13  1ドル=110円
台湾 台北 → 高雄(中華航空)


トロ姉の中国語師匠を訪ねる旅。
首都台北の町を歩いているといきなり路上での映画会。でっかいスクリーンをアパートの壁にはり、技師さんがやってきてセットしていました。
どうやら結婚式があったらしく、そのお祝いをかねて
路上映画館をやっていたようです。
なんか昔見た風景でもあるし、そう、候シャオシェンの映画のワンシーンを観ているかのようでもありました。
その近くの路上には大きなテントがはられ、いろいろ宴会の準備をしていました。なんともおおらかです。
こうるさい道路占有許可とか全然関係ありません。東京でいえば新宿の裏手くらいの町なのに。
とっても楽しくなりました。
それに
屋台の活気はもう気絶しそうなくらい。 いかがわしさと大衆の文化が混在するする台北は楽しい!!

バスで地方都市高雄へ南下。そこでトロ姉の師匠とおちあいました。
魚介類が新鮮な高雄ではその師匠のご招待で超高級海鮮料理屋へ。
いやー、あんなうまい中華料理ってあるんですね。大衆料理とはまた違う奥深さと、美食に酔いしれたのでした。
でも帰りの国内線では気候の関係やらで大幅遅延の恐れ。。。国際線の時刻もあるし、どうしようとあせっていたら、隣にいた日本人男性より
「とにかく、なんでもいいから声張り上げて文句いえばなんとかしてくれるよ。」とのこと。
列など無視の強行突破で一番早い便をゲット。ううう、やはりここも中国なのであった。


●94' 7/9 - 8/13  1ドル=100円
タイ バンコク→サムイ (ノースウェスト、バンコクエア)


初めてのタイ。ボクの仕事仲間に招待された豪華ディナーでもてなされたあと、バンコクをしばらく観光しました。
今回のメインは素朴なサムイ島へいくことです。
友達価格でとってもリーズナブルに高級リゾートホテルに泊まることができました。
さっすがにサービスやホスピタリティは高級感あふれてます。
そこのホテルをでてしばらく歩いたところに、1軒の雑貨屋+食堂がありました。
お父さんひとりできりもりしてる、というかきりもりできちゃうくらい客もすくなく、
のーんびりしたお店でした。
なんとなくローカルな食事もしたかったし、そのひなびた感じに「つげ義春」的興味でもってはいることにしたのです。
たのんだカオパッ(炒飯)はまずくもなく、うまくもなくというところだったんですが、お父さんは娘さんの写真を見せてくれたのです。
そこにはきりっとした制服で誇らしげに写っている娘さんの姿。なんでもバンコクの国立大学に通う一人娘なんだそうです。
「そうか、この小さな店を切り盛りしながら、そうやって娘さんを育て、大学まで送ってあげたんだ。」
と、とっても嬉しくなってしまいました。だって本当に
自慢の娘って感じで話してくれたんです。
娘さんもきっとこの小さな家からそうやって志をもって巣立っていったことに誇りをもっているんだろうな、と勝手に解釈してしまいました。
小さな島の小さな出会いと感動です。


●95' 8/26 - 9/2  1ドル=95円
マレーシア ランカウイ島 → クアラルンプール (マレーシア航空)


マハティール首相(当時)の観光政策というか、本人の出身地の経済対策で生まれた新しいリゾート、ランカウイにいってきました。
まだ十分にインフラは整備されていない分、まだまだワイルドさの残る島にはそこらじゅうに
猿やら、オオトカゲが闊歩する島でした。
ある日島のはずれをめぐるアイランドホッピングツアーのようなものに申し込みました。
そこでは沖に浮かぶフロートで食事やサービスを受けられるようになっていました。
でも船酔いしやすい我々としてはどのくらい「揺れる」のかが心配だったのです。

「揺れない?」
「モンダイナイデス。アンカーデコテイサレテイルノデユレマセン」

とんでもありませんでした。おりしも低気圧の接近で風もでてきて、
揺れる揺れる
そこらじゅうで魚に口からエサをあげている人たちが続出でした。
海にはいってみると餌付けされた魚たちがよってたかってボクのからだにまとわりつき、しまいには噛み始める始末。
帰りの船は荒れる海を切るようにはしりながら、ジェットコースターのように飛びまくっていました。
そんな疲れもあったのか、帰りに立ち寄ったクアラルンプールではついにホテルでダウン。
最悪の下痢ピーに襲われたのです。医者で処方された薬でなんとかしのぎはしましたが、
観光客目当てのあまい言葉には乗せられまい、と心に誓ったのです。

時節柄 月餅がいっぱい。こんなかわいい(味も美味しい)のがありました。


●96' 8/30 - 9/7  1ドル=110円
インドネシア バリ → ジョグジャカルタ (インドネシア航空)

この航空会社では赤道を通過するとにき記念のステッカーを配ります。ただそれだけです。なんてこともありません。

バリはほんとうに精霊の島、というに相応しいところでした。どこか沖縄と通じるものがある、空気というか、人というか。
サヌールというどちらかというと人数の少ないビーチを選んだのもあるんですが、そこでは夕方になるとそこらじゅうから人々がでてくるんです。
もちろん夕涼みなんですが、そんな風景に感動しました。日常の延長でしかないんですが、こんな島に暮せるという贅沢。
それはモノの豊かな日本人だからこその勝手な感傷にすぎないんです。
お父さんやお母さん、、子供達やおじいちゃん、おばあちゃん家族みんなでただただその時間を心豊かに、平和に過ごす。
これはほんとうの人間らしい贅沢なんじゃないのか、と。

バリのあと古都ジョグジャに泊まり、宮殿や遺跡をめぐりました。
ここで泊まったホテルは王族の経営する地域では最高クラスのホテルです。
だけど地元の修学旅行らしき団体が我々の部屋を囲むように宿泊し、これがまたうるさいことといったら。。。
学生達の騒がしさに国境はありません
たまらずフロントに苦情をいい、彼らの部屋は別のフロアに変えられてしまいました。しかたありません。
間違い電話にくわえ、いきなり部屋をノックしまくるなど、完全にうちの部屋をおんなじグループと勘違いしていたんですから。


99' 8/28 - 9/3 1ドル=110円
タイ サムイ→バンコク・アユタヤ (エア・インディア) 

サムイでは北側の素朴なビーチに宿をとり、時間がすっかり止まってしまいました。
ココパームリゾートは日本人もいなくって、まったくの異空間。
たまの停電もなんか新鮮に思えてしまうなんてずいぶんと贅沢な話しです。
かえって闇につつまれた食事は、人間の五感をさらに敏感にさせるような効果がありました。ごはんもめちゃ美味しかったし。
(こんなトカゲもあちこちでうろちょろ。)

それにしても
さすがエアインディアです。帰りの便はしっかりバンコクで足止めされました。
およそ半日空港ですごすはめになりましたが、ここでビルマ帰りというペン画家、山田さんと出会いました。
ヨーロッパやブラジルを渡り歩き、日本でしばらく過ごす途中、ビルマで寺院にとまりながら絵を書いていたそうです。
興味深い話を聞けて、時間を忘れることができたのも、ちょー遅延のエア・インディアさまさま?です。

しかし、ひとつこまったことがありました。
空港の搭乗手続きにならんでいるとき、日本人らしき若い女の子が近づいてきたのです。
なにかと思ったらバンコクでほとんど現金を使い果たし、空港税を払う分とっておくのを忘れたというのです。
「必ず日本でお返ししますから」というので、困っているという姿がしのびなく3千円ほど渡しました。
しかし、その後我々を探すでもなく、遅延でロビーをたむろしている彼女からなんのお礼もありませんでした。
「一体
その金どうやって返すつもりなんだよ??」
よっぽどこちらから声をかけようかと思いました。しかし、そのアホっぽい姿にうんざりし、結局そのまんま。
もちろん金なんか返ってくるわけはありません。

そんなバカヤローな女(男も)はタイになんかくるなー!恥さらしだぞ!


●99' 12/29 - 1/3
沖縄 那覇・コザ (全日空)

正月に沖縄に飛んだのは年末にかけてのライブハウスめぐりが目的。
ネーネーズや新良幸人の年越しライブなどびっちり沖縄音楽にひたる年越しとなりました。

那覇では有名な第一ホテルで宿をとり、ここの自慢の沖縄料理を堪能したのです。
ただ正月を迎えるとさすがにここ沖縄も静かになるんですね。なーんにもやってないし。
振る舞い酒が泡盛ってところは沖縄っぽかったですが、商品も正月価格になってしまって結構高かったです。

今回は島の北側にある
やんばるの森を訪ねるのも楽しみにしていたことです。
深い森に身をおくと、風の音、生き物たちの息吹、そして木々の精がぼくらの心をいやしてくれるのです。
海、山に豊かな命をはぐくんでいる沖縄という島。永遠に美しくあってほしいものです。



●01' 7/30 - 8/3 1ドル=120円
台湾 台北 (中華航空)
別項参照ください

●03' 8/  1ドル=120円
香港・マカオ (キャセイ航空)
こっちも別項参照してね



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