MY MUSIC LIFE  音楽との出会い 編 
 音楽を通して知ることができたこと。人、文化、国、そんなあれこれや、自分と音楽との接点を紹介します。しばらく自分と音楽との出会い旅にお付き合いください。


 音楽との出会い 小学校低学年編

 出会った音楽 ベンチャーズ『ダイヤモンドヘッド』

 小学校3年生くらいのときだったか、父親が使っていなかったラジオ付時計という、今でいうハイテクな(?)時計があったんで「使っていないなら貸してくれ」と、朝寝坊対策もかねて「ラジオ」で目覚めるという、新しいことにわくわくしながら寝ていたころ。いつものようにとるに足らない音楽が、寝坊助の僕の頭をモワモワと揺り動かしていたとき、いきなり衝撃がガツンと突き動かし、思わずその音楽に聞き入ってしまったのがベンチャーズだったわけ。

 小学生ながら『ビートルズのように髪を伸ばす」ことや「テケテケサウンド」が「不良」である、というレッテルを世間、しかも富良野というド田舎では、ギターを買ったり弾いたりすることなど到底考えられないことだった。
 でも、そんな「常識」を知りつつ、こいつは学校で習うような音楽とは全然違うと体感した僕を、さらに第二の波が押し寄せた。当時父親が親しくしていた八百屋さんだったか、魚屋さんだったかの自宅に遊びにいったときのこと、なにげに見つけたシングルレコードの棚に、「ベンチャーズ」を見つけたわけ。たしか「バットマンのテーマ」だったように記憶しているけど、ともかく「お。そういうの好きなのか?」と目ざとく僕の視線を察したおじさんは、そのレコードをかけてくれた。そーだよ、こういうサウンドなんだよ。でも自分からどうしても積極的にレコ-ドを買うという勇気もでず、いわゆるロック音楽との接点はもうしばらく時間を要することとなった。


  今所蔵しているベンチャーズ関連ディスク
   ・The Ventures Live In Japan '65 (EMI E2 32820)
   ・ヴェンチャーズ EP〜ブルドッグ/アパッチ/キャラバン/パーフィディア(東芝音工 LP-4060)


 音楽との出会い 小学校高学年編 その1

 出会った音楽 ル・クリスティ『魔法』

 札幌に転校した小学校5年生の冬、スキーで足を骨折ししばらく入院する羽目となってしまった。その頃、クラスの仲間では「洋楽」を聞くことがいわゆる「先端」を行くことのように、当時のヒットチャートものなどラジオ番組をチェックして、その動向を予測したり、最新の曲を教えあったりすることがはやっていた。自分もなんとかそのなかについていこうとしてはいたんだけど、どうも持っている情報量の少なさにひけ目を感じていたところだった。ところが、入院生活がそれをまったく覆してしまった。とにかく暇。やることったら本を読む以外にラジオを聞くしかない。そりゃもう、黙っていても耳に入ってくるは、くるは。

 そうした当時流行っていたのがル・クリスティというちょっと風変わりな声を持つシンガーの「魔法」だった。その裏声でつきすすむメロディと、マイナーとメジャーが交錯するメロとサビに、なんともいえない感動を覚えた。結局そのシングルは退院後にはチャートからすでに落ちており(実際ドラッグで一時音楽から離れている)、旬のものを手にいれなければ意味のなかったその頃は、次のターゲットを得るべく、夕方からの音楽番組を追いかけるという習慣が身についてしまっていた。それにテレビでは「オズモンドブラザーズ」のショーや「アンディ・ウィリアムスショー」、そして「モンキーズ」、「愉快なパートリッジ家」など、それこそ音楽番組が日本のテレビを席巻していた頃だった。ポップミュージックにますますどっぷり浸かる日々が始まっていた。
 でも、楽器それもギターを手にするのはもっと後になる。ベンチャーズで目覚めたロック魂が叫びはじめるにはあと数年の歳月が必要だった。


  今所蔵しているル・クリスティ関連ディスク 〜 ル・クリスティはなし



 音楽との出会い 小学校高学年編 その2

 出会った音楽  ビートルズ「Revolution No.9」

 その頃、円山公園近く父の会社の社宅に住んでいた。ちょうど同学年の友達も社宅のなかで増えていた。クラスがちがったけど、そんな仲間の一人にO野くんがいた。洋楽ファンだったという共通項が、お互いの家にあるレコードを持ち寄って聞きあうようになっていたんだけど、いかんせんうちには洋楽らしいものというと父親の持っていたクラシックにグレン・ミラー、サム・テイラーにニニ・ロッソ。まったくもって歌謡曲みたいなもんである。そこへいくと彼のところには兄貴のコレクションがあり、なかでもビートルズの充実ぶりには目を見張るものがあった。でも、名前だけは知っていたものの、その音に接することは初めてだった。そこで聞いた音楽には、いわゆるヒットチャートものにありがちな、キャッチーなメロディや、明るさという以上の奥深さがあることに、小学生ながらショックを受けた。「こんなのもあるんだぜ」と聞かせてくれた「Revolution No.9」などは解読不可能な前衛作品で、これも「音楽」であるということに愕然としてしまった。
 そしてテレビでは東芝のテレビCMで、あの「Let It Be」がオン・エアされ、ビートルズが崩壊したころ、ようやく僕とビールズとの正式な出会いがはじまった。それと同じくして小学校を卒業、中学に入学する


  今所蔵しているビートルズ関連ディスク(ソロ除く)
【LP】
Let It Be(Apple PCS7096), Hey Jude(東芝音工AP-8940), At The Hollywood Bowl(東芝EMI EAS-80830), Something New(Capitol ST-2108), The Early Beatles(Capitol ST-2309), Help!(東芝音工AP-8151)、Oldies(東芝音工AP-8016)、The Beatles(Apple PCS 7067-8), Abbey Road(東芝音工AP-6815)、Beates For Sale(Capitol CI0777),SGT Peppers Lonely Hearts Club Band(東芝音工AP-8163、Capitol MAS2653)

 【シングル】
I Feel Fine/She's a Woman(東芝音工OR-1179), Long Tall Sally/I Call Your Name(東芝音工OR-1155)、Hey Jude/Revolution(AR-2121東芝音工), Let It Be/You Know My Name(東芝音工AR-2461)、Yellow Submarine/Eleanor Rigby(東芝音工AR-1578)、Ob-La-Di,Ob-La-Da/While My Guitar Gently Weeps(東芝音工AR-2207), Rock And Roll Music/Every Little Thing(東芝音工OR-1192), And I Love her/If I Feel(OR-1145東芝音工), Help!/I'mDown(東芝音工OR-1412), Paperback Writer/Rain(東芝音工OR-1529), COm Together/Something(東芝音工AR-2400)

 【CD】
The Beatles Anthology 1 - 3 (Capitol 8 34445, 34448, 34451), Live at BBC, Yellow Submarine, Past Masters ! & 2, Rubber Soul, Magical Mystery Tour, A Hard Day Night,





 音楽との出会い 番外編

 Louis Armstrong

 
 愛称「サッチモ」ルイ・アームストロングは亡父が好きだったトランペッター、というよりエンターテイナーといったほうがいいかもしれない。ジャズという枠を軽々超えたエンターテイナーの一人だ。

 父は高校生から社会人になった頃、しばらく地元のブラスバンドにはいってコルネットを吹いていたそうだ。特に高校の頃、バンドのレパートリーはマーチが多く、そんなことも手伝ってか、父はスーザの作品が大好きだった。マーチの花形楽器はやはりラッパだろう。そんなあこがれもあって始めたのかもしれない父だが、ラッパ好きとはいえ、特定の音楽ジャンルにこだわってはいなかったよう。好きなミュージシャンもニニ・ロッソやサム・テイラー(これはサックスだけど)、グレン・ミラーなど日本に「洋楽」がどっと入り込んできたときの、ごちゃまぜ感が感じられる。そんな血はきっと僕の洋楽好きに受け継がれたのかもしれない。

 さて、僕が小学生のころ、日野照正がトランペットを吹くかっこいいCMがあった。そのかっこよさにほれ込んだ僕は、貯金をはたいて質屋の店頭に飾ってあった無名のトランペット(当時8千円)を買ってしまった。ミーハーだったのだ。しかし見事に演奏はおぼつかなく(ドレミくらいしか吹けなかった。彼のようなハイトーンなんかちっとも出なかった。)、そのうちほったらかすはめになってしまった。それを父は懐かしさも手伝ってか、ほったらかしの僕のラッパを何もいわずにブスブスいわせながらしばらく吹いていた。でもブランクのながい父も一向に上達せず、結局もてあまして、そのままラッパはどこかへ眠ってしまった。

 父が亡くなる直前、たまたま入ったレコード屋にサッチモとエラ・フィッツジェラルドが米ヴァーブに残した共演アルバムのコンプリート盤を見つけた。なにか父を元気づけるものはないかと思っていた矢先、サッチモという父のアイドルが心のなかでシンクロしていたんだろう。結局そのCDを聞くことなく父は逝ってしまったけど、通夜の前や仏前に流れた彼らの歌や演奏はきっと父の耳に届いたと思う。僕のさびついたラッパは今も実家の奥にしまったままだ。今思えば一緒に火葬してあげればよかったかな、と思っている。そしたらあこがれのサッチモと共演できたかもしれないのに。
 もうすぐ父の命日(2月26日)がくる。ひさしぶりにサッチモを聞かせてあげようと思う。


  今所蔵しているLouis Armstrong関連ディスク
The Complete Ella And Louis On Verve

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